カートをみる マイページへログイン ご利用案内 お問い合せ お客様の声 サイトマップ
RSS
 

ぬかずけ

 バザ−が終わりなんとなく気の抜けた気分だ。上手くいくか結構緊張していたのかもしれない。ささやかな社会貢献の積りであるが責任を果たせてよかった。

 今日は穏やかな秋の日差しが心地よい。田舎にいれば畑仕事が出来るのだが東京ではそれは無理だ。暫くはPCで時間を潰そう。ただ身体を動かすことも大切なので散歩には出たい。

 10月5日に鴻巣にある娘の夫の実家に寄らせてもらった。寄った時は大歓迎されるので恐縮している。高級なお菓子や果物を沢山お土産に持たされる。「お見えになるときはせめて前日に電話一本いただけませんか?」と強く言われている。先月シャインマスカットを玄関先に置いて帰ったためだ。「はい失礼しました!今度は連絡させていただきます。」

 どうしても上がってくださいと言われるのでお邪魔した。すると「マツタケご飯を作りましたので召し上がってください!それにぬかずけは毎日作っておりますのであわせて召し上がってください!」出てきたのは本格的なマツタケご飯だ。私の田舎ではマツタケは出ない。上田や伊那のほうは名産地だ。「送っていただいたんですのよ!」とのこと初めてマツタケご飯をごちそうになった。自分は「ジボコ」と「カバタケ」のキノコを採ってきたが差し上げなくて良かった。また山で拾った小布施栗も出さなくて良かった。立派な「栗の渋皮煮」も添えられている。栗は近くで採れる利平とかいうブランド栗だ。また果物は食べきれない程だ。「私は毎朝果物とお皿一杯のぬかずけをいただいています!」とお父さんが言われる。「お肉やお魚はそんなに食べませんがお豆腐や野菜がメインです。」健康に留意した食事なのだ。ここのぬかずけは大変美味しい!

 家に帰ってから私も本格的に「ぬかずけ」を作ることにした。幸い叔母からもらったぬかずけ用のカメがある。叔母は昔、厳選して買ったカメだと言う。「ふたが密着するか何遍も確かめた。隙間があるようだと虫が入る心配がある。ダイシン百貨店の人から嫌がられたほどだ。」思い入れのカメを貰ってきたのだ。それまでは冷蔵庫でプラスチックの容器でぬかずけを作っていたが本物のカメはやはり使い易い。

 毎日ぬかずけが食卓に上るようになった。するとお腹の調子も良くなった。やはり日本人には欠かせないものだ。

教会のバザ−

 10月14日は教会のバザ−だ。このために田舎に帰りシャインマスカットとりんごを収穫してきた。夜半、雨が降っておりバザ−の人出が心配だったが朝には止んでいた。西の空にはわずかな青空が見え絶好のバザ−日和になりそうだった。

 バザ−は11時開始だ。その前に教会の人達がシャインマスカットを買って呉れた。1房700円の設定だ。バザ−開始と同時に人が殺到した。2房、3房買って呉れる人が多かった。11時40分には100房が完売してしまった。「シャインマスカットは美味しいし安いもの!楽しみにしてきたのよ!」お客さんも喜んでくれる。同時に50円の紅玉も150個売れてしまった。「光子さんの紅玉よね!料理に使えるから助かるわ!」教会員の方々も協力してくれる。陽光と黄林のリンゴ100個も完売した。

 バザ−の人出は少なかった。天候も良く沢山来てくれると思っていたが例年の半分くらいだ。バザ−の意味合いが変わってきているのかもしれない。従来は欲しい衣類や中古品が安く買えるのがバザ−だったが、もうあまりそういうニ−ズは無くなってきているのかもしれない。お祭りみたいな感覚で楽しみながら新鮮な果物が安く買えるのはお客さんにも受け入れられる感じだ。衣類や道具類はニ−ズが減っている。出品物を検討する必要があるかも知れない。

 私の担当した果物は8万6千ほどの売り上げで一番だった。昨年は7万9千円だったのでまた記録を伸ばした。亡き姉も驚いているかもしれない。姉に言われてバザ−に協力するようになった。姉の遺言だと思っている。打ち上げの時「バザ−の開催日を台風が来ない11月に変更して頂きたいとの意見があります。理由は台風でバザ−が中止になれば焼き鳥材料が無駄になるから!」との問いかけがあった。そうなれば私はバザ−にシャインマスカットを献品しなくて済むので大助かりだ。11月にはシャインマスカットは無くなっている。半分期待したい。

サトイモ

 10月9日 午後2時に長野に着いた。弟に電話すると「いいところに来てくれた。今、田んぼにいるのだが干していた稲がすべて倒れている。木島のたんぼに来てくれないか?」「長靴が無いから無理だよ!ドライビングシュ−ズが台無しになる。」「大丈夫だよ。乾いているから田んぼにヌカルことは無い!」仕方ないので木島の田んぼへ向かった。

 「台風25号の折は大丈夫だったのに、翌日の余波ですべて倒れてしまった。」「そうだな東京でも結構風が強かった。」100m位の長さにわたって天日干ししていた稲がすべて倒れている。二人で稲を外ずし鉄パイプの棚を作り直し再び稲を掛け直した。長いのでなかなか終わらず6時までかかってしまった。辺りは見えないような暗さになった。

 「今回はバザ−用のぶどうとリンゴを採りに来た。ぶどうは100房は貰っていくよ。」「いいよ!必要なだけ採って行けば!兄貴が作ったんだから自分のものと思えば良いよ!」そう言ってくれるが肝心な作業は弟がしている。有難い。

 翌日は牟礼の畑で60房ほど採った。夜、販売用の個装をした。涌井の畑から採ってきた春菊で湯豆腐を作った。なかなかイケる。

 11日もぶどうを60房採り40個は作った。これでバザ−用は確保できた。「明日は手伝うが設備屋さんの予定はどうなった?」弟に電話した。「13日になった。キッチンと合併浄化槽は13日に終わる。」「じゃ-今回は手伝わないね!13日には東京へ帰らねばならない。」そう言って涌井の畑へニンニクの種を蒔きに行った。前回蒔いたニンニクも芽が出てしまっている。昼ごろサトイモを掘ってみるとほとんど子芋が付いていない。里いもの葉が大きい割にイモは小さいのだ。そんなことを思って作業していると同級生の和子さんたちが来た。「通りかかったら車があるので寄ってみた!いつ来たの?」「明日もう帰らなくてはならないのだがサトイモの出来が悪い。」「子芋は少ないが親いもも食べれるのよ!」「食べれないと思って捨てたよ。」どうもサトイモには親いもと子芋があるらしい。和子さんたちは親いもを持って帰ってくれた。無駄にならなくて良かった。

 春菊と野沢菜、ダイコンを採って帰京の準備をした。残念ながら白菜は虫だらけだ。「白菜は毎日虫取りをするのよ。でも東京からは無理よね!仕方ないんじゃない。」なかなか農業は厳しい。

秋満開

 台風24号が通過した。久しぶりに台風の強風が吹き荒れた。かっては野分の季節と言われたが最近は東京には来なかった。1日の朝、田舎へ向かって車を走らせた。田舎は幸い台風の被害は無かったようだ。

 須坂の畑でぶどうを20房ほど採り山小屋へ向かった。山小屋へ着くと庭に大きな穴が掘られている。弟が何か水道とかの点検のために掘ったのかと思い電話してみた。「自分はそんな穴を掘っていないよ!それは猪が掘ったのでは?」「そうかな?砂利が一杯入っている庭を掘るなんて考えられないが。」どうも大きなイノシシが住みついているようだ。

 夜、ぶどうの袋を開けトリミングをしていて分かったのはやはりぶどうの実に割れが入っている。熟すと割れやすくなるのか、割れた所から腐敗が始まる。割れの原因は天候の精だと思っているが若しかすれば肥料を与えた為かも知れない。ぶどうは肥料が少なくて良いと亡くなった友人が言っていたことを思い出す。弟に電話する。「来年は肥料を与えない方が良いのでは?」「いや、今年は何処の農家でも割れが発生しているそうだ。市場の人が言っていたがその中でも小林さんのぶどうは出来が良いと言っている。多く出荷してくださいとも言われている。」そうなるとやはり日照りが続いたために起きた不具合かも知れない。弟は自信を深めている。農家に負けないぶどうを育てられると思っている。

 2日は畑で草取りとニンニクの植え付けを行った。前回蒔いたニンニクがもう芽を出してしまっている。植え付けるのが早すぎたのかもしれない。通常なら来年雪解けの後、芽がでるのが普通だ。畑を耕しさらにニンニクを植えてみた。どうなるか楽しみだ。畑の上の道路に栗の木がある。大きな栗が沢山落ちている。クリご飯を作ろうと思って50個ほど拾った。また春菊が良く育っていた。午後2時に弟の家に行き草刈り機を持って牟礼の畑へ行った。ぶどう畑と取付道路の草刈を行った。夕方には足が攣り休まないと動けなくなった。やはりまだ長時間の農作業は出来ないのだ。5時には草刈りを止めた。秋の夕陽はつるべ落としだ。5時半には暗くなる。

 3日は弟の家造りを手伝い午後また牟礼の草刈を行った。今度はりんご畑もきれいになった。これなら近所の人からも喜ばれるだろう。達成感に浸りながら山小屋へ戻った。

 4日の朝はキノコ採りを行った。山小屋の裏手の山に「ジボコ」と呼ばれる網タケが沢山出ている。カラマツ林と雑木林が混在しているところに出るらしい。驚いたことにこの林がすべて掘り返されている。イノシシの仕業だ。今までに見たことも無い景色だ。どんなイノシシが居るのか恐ろしくなるほどだ。その後弟の家でシャインマスカットの袋外しを手伝った。100袋も外すのは大変だ。でも出荷するぶどうにするには欠かせない。夜なべ仕事に弟夫婦は夜11時までやっているそうだ。販売するには苦労も伴う。

 3時から畑に行き今度はホウレンソウの草取りを行った。友人が育てているのだが自分も出来ることは手伝うつもりだ。友人は秋田の温泉へ湯治に行っている。なんでも癌の治療に効果があるようなのだ。10日間ほど滞在するらしい。春菊を採り帰京の準備をした。

獣が住んでいる

 20日はぶどうの発送しに弟の家へ行った。佐川急便が引き取りに来ると言う。昨日に引き続き石膏ボ−ドの張り付けをやった。廊下の壁にボ−ドをスクリュ−ビスで止めていく。ドライバ−で打ち込むのであるが大分上達した。一旦ボ−ドに垂直にビスを入れ、次に下板へねじ込む2段階の電動ドライバ−の使い方が良い。なんでもコツがあるものだ。

 夕方4時ころには作業を終えて牟礼の畑を見に行った。この畑はそんなにぶどうの実の割れは見られない。やはり気候が違うのだ。ひとまず安心してスチュ−ペントのぶどうを採りに入った。少し採っていると「ウ-ワオ-」と草むらから獣の唸り声がする。驚いてこちらもうなり返したが姿は見えなかった。俺の縄張りに入るな!とばかりに獣が脅してきたのだ。イノシシの声とは違うのでハクビシンかタヌキかムジナの類だ。地面に近いぶどうは奇麗に食われている。獣の住処になっていると弟が言っていた。

 雨が降っていたので畑には寄らずに山小屋に帰った。スト−ブを焚きステ−キの夕飯を作り充実した一日が終わった。夜弟より電話があって明日午前中だけでも家を手伝ってくれとのこと。了解した。

ぶどうの実に割れ

 9月18日 朝から弟の家造りに行った。 内装材の石膏ボ−ドをキッチンに打ち付けた。15mmのタイガ−ボ−ドで加工は比較的容易だ。カッタ−ナイフでカットできるし窓開けもノコギリ状のカッタ−ナイフで行った。次いで下野の屋根材を取り付けた。サンル−ムの屋根になる部分でログハウスの屋根材と同じだ。重いので二人でハシゴを使って引き揚げた。

 午前中で作業を終え須坂の畑へシャインマスカットを採りに行くことにした。私も友人へ送る為に採りに行った。例年よりは成長が良く甘くもなっている。ただぶどうの皮にクラックが入っているのが多くそこから腐敗が始まる。「多分この夏は雨が少なく日照りが続いた為、皮に弾力や伸びが無くなり割れたと思われる。来年は日照りが続いたら畑に散水したほうが良い!」また勉強だ。弟は1本の樹のぶどうを全部採った。「個装して市場へ出すよ!市場からは今年のシャインマスカットは全般的に出来が良くない中で小林さんのは良いです。どこで作っているの?と聞かれている。」

 夜山小屋に戻りぶどうを個装し梱包した。完璧と思ったがまだ完壁とはいかない。ぶどうつくりも奥が深い。子育てと同じだ。出来が良いと思っていても思わぬ障害が発生する。また出来が悪いと思っていても思いのほか良いのが出来る。一喜一憂せずに自然の力に任せることだ。ただし可能な限り面倒を見て育てることだ。最善を尽くせば後悔は無い。

指が攣る

 昨日は仲秋の名月だそうだ。もう9月も半ばを過ぎ本格的な秋がやって来る。9月17日から22日までまた長野の田舎へ行っていた。秋野菜の草取りとニンニクの植え付けそれに弟の家造りを手伝うためだ。田舎へ行けば何かしら身体を動かす仕事がある。残念ながら東京では力仕事はほとんどないので筋力は落ちるばかりだ。

 18日は畑仕事に没頭した。畑の周囲の草刈をし春菊や野沢菜の草取りをした。久しぶりの雑草取りは嬉しくてたまらない。成長途上の野菜が一段と奇麗に見える。3時間ほど作業をすると大分奇麗になった。昼食後ニンニクを植える畑を耕していると伊藤さん夫婦が見えた。「ニンニクはもう蒔きましたか?」「いやまだです。今まだ畑を養生している最中です。月末までには蒔く予定です。」「今年のニンニクは見事でしたね!ニンニク作りのお師匠さんですよ!」「いえ-まだまだですよ。黒酢ニンニクを小林さんにあげてくださいと松野さんに預けてありますから、、」夫婦は斑尾高原でペンションを営んでいる。昨年は青森からニンニクの種を3万円も買って畑に植えたのだ。黒酢ニンニクにして販売したいのだそうだ。隣の畑で作っている。

 鍬で起こした畑に肥料を入れ土をかぶせてニンニクを植えた。今年採れたジャンボにんにくと購入した中国産の大き目のニンニクを植えてみた。全部で100個ほどだ。来年どんなニンニクになるか楽しみだ。

 その後大根や白菜の雑草取りをしたが3時ころに手の指が痙攣して動かせなくなった。農作業が出来る喜びで指を使い過ぎたようだ。休ませマッサ−ジをしたが指は動かない。もうこれ以上は無理だと判断して山小屋へ引き揚げた。情けないかな農作業がまともに出来ないのだ。それだけ東京では身体を使っていないのだ。山小屋へ帰って3時間ほど寝たらようやく指が動くようになった。東京での生活の仕方を考えないと身体は弱るばかりだ。田舎は私のリハビリだ。

涌井の蕎麦

 9月6日は朝、弟の家造りを手伝った。「天井用の石膏ボ−ドを物置から1階の部屋へ運んでほしい。重いから二人がかりでなければできない。」確かに重い。サイズは1m×2mで20kgは有る。16枚を運び入れるのに1時間ほどかかった。「天井に張るのに人出が要るでしょう?」荻野さんが心配する。「電気屋さんに配線してもらってからになるので後でします。」ついで2階の外壁になる板をカットし取付を手伝う。「一番下になる板を取り付けてもらえれば後は自分で出来る。」最後に残っていた2階の壁を仕上げると言う。外壁の板は凸と凹のある板で組み合わせて止めていく。長手方向には斜めカットで組み合わせる。「それじゃこれで今回の手伝いは止めるよ。畑に行って白菜を植えなければならないし土産用のぶどうも採りたいから。」

 11時半に作業を止めて涌井の畑に行った。「荻野さん、白菜の苗を植えますので栗でも拾いに行って来てください。」そう言って10株の白菜を植えた。東京で種を蒔き発芽させたものだ。上手く育つかは分からないが楽しみだ。その後、草を鍬で取っていると松野君が来た。「ニンニクは今度来た時に蒔きますよ!」「うん、石灰は入れなくても大丈夫だ。肥料さえ沢山入れて植えたら良い。」これで今回の畑仕事もすべてやり終えた。

 「昼は涌井の蕎麦を食べに行きましょう。」荻野さんと蕎麦屋キタザワへ向かった。ここの蕎麦は大変美味しい。遠く群馬や新潟からお客さんが来る。「ここは土日しかオ−プンしていないんですか?」荻野さんが聞くと「昼だけですが月曜は休みでそれ以外はやっています。」おかみさんが答える。「それじゃ今度また食べに来ます。」ここの蕎麦が食べれるとは思っていなかったのでラッキ−であった。

 その後牟礼と須坂の畑に行き、りんごとシャインマスカットを採った。40房は採った。夜、個装してお土産用に箱に入れた。荻野さんのぶどうはその前に出来ている。「明日朝8時ころには山小屋を出発したいです。私は途中親戚の家に寄りぶどうを届けますので。」荻野さんも一緒に出発することになった。今回は荻野さんに助けてもらった。荻野さんも楽しかったので又行きたいですと翌日メ−ルが来た。

荻野さんが手伝ってくれる

 9月5日 21号台風は木々の枝や葉を散らかした程度で山小屋はさして被害が無かった。「荻野さん、私は弟の家造りの手伝いに行きますので野沢温泉とか燕温泉でも行って来られたら良いですよ。」「いや、私も手伝いに行きます。」となって二人で弟の家へ行った。

 昨日の続きで1階部分の天井の枠組みを作った。石膏ボ−ドを張り付ける枠を組み天井に取り付けるのであるが大きくて重いので人手が要る。「荻野さんはさすがですね!」枠材を寸法に切り、スクリュ−釘で組み立てるのであるが、私は上手くいかない。荻野さんは手慣れたもので訳なくこなしていく。器用なのだ。それもそのはず荻野さんは技術者で機械類の扱いは慣れたもので電動ドライバ−も組み立て作業でいつも使っていた。「いや、大工さんはしたことがないのでものつくりの勝手が違う。慣れれば問題は無いと思うが。」そりゃそうだ0.1mm精度の世界と2〜3mmの精度の世界だ。ワ−クの大きさの違いはあるが神経の使い方が違う。そうは言っても木材が反っていてきちんと入らない箇所も出てくる。無理やり大きな木槌でたたきこむ場合も出てくる。

 夕方にはどうにか枠を張り終えた。「今日は斑尾の湯へいくので明日また手伝うよ。」二人で斑尾の湯に入り汗を流した。斑尾の湯に若者が沢山来ていたので聞いてみた。法政大学のゼミ合宿で斑尾高原のペンションに来ていると言う。3班に分かれて3軒のペンションに泊まって勉強しているそうだ。毎年来ているそうで来年も来ますと言っていた。

 夜は荻野さんが持って来てくれたステ−キをいただいた。ナスともやしをニンニクで炒め和牛のステ−キを焼いた。「高級なお肉はバ−ベキュ−で焼くのではなくてフライパンで焼いた方が美味しいね!」ご飯とみそ汁それにいただいた八丁きゅ-りとトマトのサラダで満足した。デザ−トはシャインマスカットだ。

 充実した一日となった。

友来る

 9月3日〜7日まで長野の田舎へ行っていた。秋野菜の種を蒔くのと弟の家造りの手伝いだ。須坂の畑に寄りシャインマスカットをつまんでみた。随分甘くなっている。6房ほど採り弟の家に行った。「今年はぶどうの糖度の上りが早い。やはり雨が降らず日照りが続いたためなのか?」そう言いながら糖度計で計ってみた。糖度は16度であった。「まだ18度にはなっていない。でもこのくらいでも美味しいと感じるので人様にあげても大丈夫じゃない。」弟に明日から手伝うよと伝え山小屋へと向かった。

 途中涌井の畑に寄り、野沢菜とホウレンソウの種を蒔いた。前回蒔いた青首大根は芽を出していたが、ところどころ歯抜けになっていた。そこにも再度大根の種を蒔いた。白菜はかなり大きく成長していたが、ほとんどが虫に食われて葉に大きな穴が開いている。虫を探したが見当たらなかった。防虫ネットでもかけてやらねば駄目なのかと不安になる。

 夜山小屋にいると荻野さんから電話が来た。「休みが取れたからそちらへ行きたいのですがどうですか?」「私は今週こちらにいますので大丈夫ですよ。シャインマスカットも甘くなっているので可能でしたらいらしてください。ただし台風が来るらしいのでそれが心配です。」「それじゃ思い切って明日早く車で行きます。」翌日8時半頃台風よりも早く斑尾の湯へ見えた。そんなわけで荻野さんと行動を共にすることとなった。

 「それじゃお土産用のシャインマスカットを採りに行きましょう。」朝食後牟礼の畑へ行った。台風が来る前に採ってしまいたいと思ったのだ。牟礼の畑に着きシャインマスカットを試食したがまだ未熟だ。やはり牟礼は遅れるのだ。「ここはまだ駄目なようなので弟の須坂の畑に行きましょう。」と言って須坂へ回った。今度は大丈夫だった。収穫用の大きなプラ箱に25個ほど採り山小屋へ戻った。

 昼食後「荻野さんはシャインマスカットを個装してお土産用に作ってください。私は弟の家を手伝ってきますから。」そう言って弟の家へ向かった。弟は天井材の枠組みを作っていた。私も寸法に切りビス止めを行い枠作りを手伝った。壁材のヒノキも磨き寸法に切る手伝いをしてこの日は終わった。なんとか1階部分の内装を9月中には終わらせたい。ス−パ−で買い物をして荻野さんの待つ山小屋へ戻った。

ページトップへ