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誕生日

 72回目の誕生日を迎えた。思えば良くここまで長生きできた。父や二人の姉の年齢を超えた。父は満州鉄道の経理課に勤めていたため、私は終戦後長春(新京)で生まれ、混乱の中、中国人から置いていくように言われても連れて帰ると断り、残留孤児にならずに済んだ。引き上げ後、貧しいながらも希望に満ちた家族であった。

 父と母の願いは子供達を大学まで出すことだった。二人は優秀だったが、家庭が貧しく高等教育を受けることはできなかった。子供達にはそんな思いをさせたくないと引き上げ後一生懸命働いた。父は建設会社を興し、村で一早くオ−ト三輪車を購入した。しかし昭和30年頃、長野市の青果市場の工事をしたときに60万円の不渡り手形を貰ってしまった。会社は倒産し、借金の返済のために母は東京へ働きに出ることになった。

 父はその後村会議員をしながら観光開発会社を興した。借金は父が返済し、母は子供達の教育費を賄った。幸い姉二人は優秀だったので長野西高へ入った。両親の夢はつなげた。しかし父の大学像は御茶ノ水女子大か東京大学しかなかった。長女は御茶ノ水しか受験できなかった。落ちてからまだ受験できる大学があると母は短大を見つけてきた。不本意ながら姉は短大へ行った。その後教員資格を取り中学校の先生となった。この姉には兄弟姉妹皆世話になった。いつも皆を励まし前向きな人生へと導いた。その姉は64歳でこの世を去った。恩返しが出来なかったのは今でも悔やまれる。

 次女は御茶ノ水女子大は駄目だったが横浜市大へ入った。私の先輩として人生の水先案内人を務めてくれた。同級生と結婚し札幌医大に努めたが、残念ながら子供がいなかった。その姉も70歳で亡くなった。両親も姉二人もガンで亡くなっている。我が家にとってガンは強敵だ。

 今両親や姉達は何処にいるのだろう?肉体は滅んでも精神か魂はどこかで生きている気がする。自分にとって素晴らしい人達だったとしみじみ思う。この家族の下に生まれてきて本当に良かった。この家族を特色付けるのはクリスチャンと言うことだ。みな謙虚すぎるという欠点があるが、人に優しく、人を愛し、神を愛すキリストの道を歩んでくれたことだ。誇りに思う。

 6回目の干支を迎えることが出来たことは本当に目出度い。まだやり残したことが多く、元気に役目を果たしていきたい。健康に感謝しながら目標に向かって日々過ごしたい。

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