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素晴らしかった奈良・飛鳥の旅

 4月23日〜25日、奈良・飛鳥旅行に行って来た。大学時代のスキ-部の仲間が奈良に住んでおり企画が持ち上がった。高校の修学旅行以来の古都の旅だ。当時も奈良の大仏さんや薬師寺東塔、石舞台に感激した思いがあるが、今回も劣らず素晴らしい旅となった。

 奈良の友人はホテルの手配から訪問先、スケジュ−ルまで細かく設定してくれた。私の希望は日本国誕生の地飛鳥を回ることであった。飛鳥は奈良から離れており、今も古の風景がしのばれる山村で車でなければとても1日では回れない。友人は2月に購入したばかりの新車で案内してくれた。

 飛鳥に魅かれるのは豪族蘇我氏の日本国草創期に果たした栄光の役割が、乙巳の変(645年)とともに葬り去られる悲劇的な最後に同情を覚えるからかもしれない。蘇我氏は大陸からの渡来人を積極的に活用し産業や文化を興し、仏教を保護した日本国創設の恩人だ。蘇我稲目、馬子、蝦夷、入鹿と大和朝廷の権力を握るが歴史上から葬り去られることとなる。歴史は勝者の都合の良いように書き換えられる。そんな憂いを含んだ飛鳥をもう一度訪問したかった。

 石舞台古墳は蘇我馬子の墓と言われる。なだらかな坂道をあがって行く途中に巨大な像が横たわるような大きな石で造られている。造られた当初は石は土で覆われ現在のようなむき出しではなかっただろう。覆っていた土が取り払われ、巨大な石があらわになると一層悲劇の主人公としての趣になる。栄光と悲哀の石舞台古墳だ。稲目の墓は石舞台古墳から600mほど上がったところにある都塚古墳らしい。2015年、それまで不明であった蝦夷と入鹿の墓は飛鳥の入り口近くにある菖蒲池古墳にあることが分かった。小山田古墳が発掘され蝦夷の墓と入鹿の墓が二つ並んで作られたと言う日本書記の記述と合致することになったのだ。小山田古墳が破壊されて蝦夷の石棺は入鹿の石棺のある菖蒲池古墳に入れられた。二つの石棺のふたの形が蝦夷と入鹿の邸宅を模して造られたようだ。これで蘇我氏の墓は判明した。蝦夷と入鹿の邸宅があった甘樫の丘はこんもりした林になっている。そこから大和三山や飛鳥宮が望めた絶好な立地だったようだ。

 今回スキ-部の友人4人との旅であった。平等院も素晴らしかったが長谷寺が好評であった。今丁度牡丹の花盛りで11メ−トルもある11面観音像は圧巻であった。長谷寺は古くからの名刹で紫式部や清少納言も訪問している。この時代の人々の憧れのお寺で蜻蛉日記や更級日記の女流作家も訪ねている。長谷寺詣では古くからの憧れであった。長い階段を上った山腹に本堂があり御本尊が祀られている。古の趣たっぷりの名刹は一度は訪ねてみたい。

 もう一つは飛鳥寺の飛鳥大仏だ。蘇我馬子が建立した日本最古の寺であるが仏師鞍作止利の製作と言われる飛鳥大仏は思いのほか品格があり美しく、観る者に感動を与える。やはり仏様は神々しく美しいものでなければならない。仏教の伝来とともに仏像が作られていくが、この時代にこんな美しい大きな仏像が作られたのはその後の日本文化に大きな影響を与えた。

 飛鳥寺の横に入鹿の首塚があるが、雨が降っており写真が上手く撮れなかった。たぶん手振れが原因であるが、全体がぼけてしまった。何故かその一枚だけがぼけており、入鹿の怨念が感じられ、どうか心安らかに成仏くださいと祈る思いだ。

 男4人の旅の楽しみはお酒が入った食事会だ。私はほとんど飲めないが3人は酒豪だ。店の主人の勧めもありスケジュ−ルに無かった新薬師寺を翌日訪ねることになった。病み上がりの身には大変有難く思わず病気平癒を祈願してしまうほど素晴らしいお寺だった。それは次回に回します。

 今回ご同行くださったスキ-部の皆様本当に有り難うございました。良き思い出となりました。

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