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千曲川の氾濫

 台風19号の被害は甚大となった。13日の朝 テレビで千曲川の氾濫した様子が映っていた。穂保という地名は何処か分からなかったが新幹線基地が水没しているのを観て、弟のりんご畑の近くであることが分かった。千曲川の堤防が決壊し住宅街に濁流が流れ込んでいる。弟に電話してもつながらないので友人に電話した。「千曲川が氾濫したのは35年振りくらいだね。今までで一番ひどい!千曲川沿いのリンゴ畑は完全に水没している。下流の護岸工事をしたおかげで今度は上流の長野の方がやられている。水の逃げ場が無くなって決壊してしまったのでは?千曲川沿いは広大に水没して湖のようだ。」

 その後弟に確認すると「新幹線の傍のリンゴは完全に水没したと思われる。駄目だね!飯山も冠水して市街に水が入った。支流の川が先に氾濫して水が来たので千曲川へ逃がそうと思って水門を開けたら千曲川から逆流して被害が広がった。木島平の天日干ししていた稲も台風で倒され、流れ込んだ水に水没した。須坂のぶどうは周辺が水没しており見に行けない。たぶん助かっていると思うが今回は酷い被害となった。家が無事だったのだけでも幸いだ。」千曲川沿いにある弟の畑や田んぼが直接被害を受けることになった。幸い実家のある方は山なので台風の被害は無かったようだ。

 災害のニュ-スを観ても他人事のように感じていたが身近に迫ってきた。大型台風が来るとのニュ-スで11日に急遽長野のから戻った。東京の方が心配だったが実際は長野の方が被害が出た。10日に10年ぶりに合う野平さんと高木さんが山小屋に遊びに来ていた。畑でぶどうを採ったり春菊やホウレンソウを摘んだ後、まだらおの湯に行き手打ち蕎麦を食べて山小屋に戻った。積もる話に夜遅くまでスト-ブを焚きながら近況を語り合った。高木さんは中国とビジネスしている。昔のように仕事をしませんかと言うが体力に自信が無いので積極的にはなれない。手伝えることがあれば手伝いますとしておいた。台風が来るので予定を早めて11日に帰京した。野平さんと高木さんにはブドウや梨のお土産を持って帰って貰った。喜んでおられた。

タイヤ交換

 9月29日 飯山のベイシヤへから揚げ用の鶏肉を買いに行った。紀之君との夕飯に焼き鳥とから揚げ定食にしようと思ったためだ。帰りにガソリンスタンドで給油していると女性が寄ってきた。「大分タイヤが摩耗していますね。今安くしていますから交換しませんか?」「ウ-ン時間が無いんだよ。4時に待ち合わせだから。」「大丈夫です。すぐできますから」と言って5名ほどの男性スタッフの方へ早足で戻って行った。

 聞くと消費税が上がる前に交換する人が多く、このスタンドへ出張してタイヤ販売・交換をしているそうだ。費用も交換料、タイヤ廃棄料を含めて3万円で良いと言う。「それじゃお願いします。」荻野さんからも摩耗を指摘されていた。春に車検した時もデーラ-から交換を勧められたが友人の賢治君から「買い換えるときは自分の所から買って」と言われていたから断った。ところが賢治君が食道がんになって検査や入院になってしまい頼めないで来てしまった。

 交換してもらっている間に地元の人に話を聞いた。やはり冬にはスノ-タイヤに履き替えるのでスノ-タイヤを買い、交換してもらっているのだと言う。齢を取ると自分では面倒なのでお願いしているそうだ。交換料は2千円だそうだ。春にはノ-マルタイヤに履き替える。田舎では車は必需品だ。高齢になっても自分の車を運転しなければどこにも行けない。75歳すぎの認知症検査が通るか心配していた。

 30分でタイヤ交換が終わった。175/70R14 84Sと掘りこまれている。ダンロップ製だ。乗ってみると乗り心地も良くなった気がする。安全を考えればもっと早く交換しておけばよかった。消費税が上がる前で良かったと満足して帰った。

ニンニクの種蒔き

 9月24日に田舎へ帰った。今回はニンニクを植えるのとシャインマスカットを送る目的だ。須坂に着いてシャインマスカットを試食してみたが甘さがもう一つであった。例年だとこの時期には糖度が18くらいになるのに今年は遅れている。やはり気候が暑いせいであろう。

 涌井の畑に行って見ると大根は大きく成長していた。友人のハクサイは大きくなっていたがネットが外されていた。何か不都合が生じたのだろうと思い電話してみた。「ハクサイが大きくなりすぎてネットに当たってしまい邪魔になるので外した。」「幼虫に食われないの?」「オルトランを撒いたから大丈夫と思う。」果たしてどうであろうか?楽しみだ。

 夜、横浜の友人から電話が来た。「そちらへは26日の朝89時頃到着します。26,27日と泊まり28日に帰ります。ブドウは大丈夫ですか?」「了解です。ブドウはまだ少し早い気がしますが2~3日置いておけば大丈夫でしょう。お待ちしています。」彼は昨年もぶどうを採りに来ている。親戚や友人にあげるので30房ほど欲しいとのことだ。

 26日に友人は到着した。朝4時頃出発したそうだ。朝食はパン食で済ませて須坂の畑にぶどうを採りに行った。40房ほど取ってきた。昼は天ぷらうどんを作り二人で食べた。「荻野さん!午後は畑でニンニクを撒きたいので手伝ってもらえます?」「いいですよ!畑に行きたい。」

 蕎麦畑の上にある畑でカボチャの弦や雑草を取り除き耕運機で耕した。私が先にやって見せ荻野さんも扱ってみた。どうにか畑を耕したところに管理人の丸山君が来た。「今日はニンニクを植えようと思ってトラクタ-を動かした。一度エンジンを止めたら時間を置かないとかからない?」「冷えればかかるから大丈夫だよ!自分もニンニクを蒔きに来た。」丁度ニンニクの種を植えるタイミングなのだ。

 畝を作り、肥料を沢山入れ、土をかぶせて踏み固め、ニンニクを入れる穴を開けて行く。荻野さんがニンニクを置いていく。その後土を被せ足で鎮圧してニンニクの種まきは終わった。夕方「まだらの湯」の温泉に入り山小屋へ引き揚げた。夜は焼き肉をした。

 27日はぶどうを梱包して郵便局から発送した。荻野さんと共に畑にはチンゲン菜と春菊の種を蒔いた。その後弟の家に行き草刈り機を持って牟礼の畑に行った。私は草刈りをし荻野さんはスチュ-ペントのぶどうを採ったり洋梨を拾った。また荻野さんも草刈り機を使って作業をしてくれた。すっかり農作業を手伝わされたが楽しかったと言っていた。

 28日は荻野さんを見送り、また牟礼の畑の草刈に行った。リンゴ畑も含めて広い面積を刈ったので3時ころまでかかってしまった。ほとほと疲れた。

 29日は紀之君が泊りに来た。軽井沢での14名の懇親会を終えて一人でやってきた。まだらおの湯に入り山小屋で焼き鳥とから揚げ定食を作って食べた。ブドウを持って翌日帰って行った。

起承転結

 9月15日は教会の100周年記念委員会があった。今回は私の原稿が主要テ-マとのことメ-ルでお二人に送っておいた。それに対して「教会の戦争責任に関する宣言」があると福田さんが教えてくれた。

 私の文章は江戸末期から始まり明治、大正、昭和と日本の歴史に併記する形で教会史を書いている。自分でも起承転結の結が決まらないで間延びしたものだなと感じていた。それが教会として戦争を支持・荷担したことを正式に謝罪したものであった。一番重い課題であるがそれが正式な公式文書で内外に出されていたことは大きなことであった。これにより私の文章を完結できると感じた。

 文責の問題があるので私の名前を出すかが問題である。「個人の文章にすれば教会に迷惑かけることはない。個人名にして巻末へ持っていきましょう。」私が提案すると「真ん中で宜しいんじゃないですか。記念誌編集委員の文章として。」青山さんが言う。どうなるかはまだ未定だ。

 やはり多くの人の意見でまとめ上げていくことが良さそうだ。文章は起承転結で何を伝えるかが大切だとあらためて思う

カボチャス-プ

 9月14日(土曜)はこども食堂だった。開設当初から手伝っている。教会の先輩である今は亡き伊藤さんから依頼されたもので、可能な限りお手伝いしたい。

 今回のメニュ-はミ-トソ-スパスタ、コ-ルスロ-キャベツ、ス-プ、ゼリ-のデザ-トであった。「小林さん!ス-プをお願いします!」責任者の村山さんから頼まれた。野菜くずを煮出した優しいス-プを作って以来ス-プは私の担当になっている。

 今回こども食堂のボランテイヤ-の方にカボチャをあげようと思って自分が作った大きなカボチャ2個を持参していた。ふと思いついて「カボチャのス-プにしましょうか?」と提案すると皆さん賛成した。「このカボチャは皮が硬いので包丁で皮を剥いてください。」レンジで3分加熱した後カットした。ボランテイヤ-の皆さん8人ほどで奇麗に皮を剥いてくれた。カボチャを煮て、牛乳とコンソメで味付けした。美味しいカボチャのス-プが完成した。

 こども食堂もすっかり定着して毎回60名くらいのお客さんが見える。教会の前の公園で遊んでいた二人の子供に声を掛けると「本当に無料なの?」と半信半疑の様子で入ってきた。「どう、美味しいですか?」食事をしている先ほどの子どもに声を掛けると{めっちゃ美味しいです!」と元気な声が返って来た。「また来てください!」満足して帰って行った。18歳以下は無料で大人は300円いただいている。営利事業ではないので赤字でも構わない。

 午後1時半に私は失礼させていただいた。やはり田舎から帰って来た疲れが出て耳鳴りがしたり、めまいがする。「どうぞどうぞお休みください!」責任者に送り出されて教会を後にした。

ハクサイのネット掛け

 9月9日から長野の田舎へ帰った。台風が通り過ぎたばかりであったが道路は大丈夫だった。須坂のぶどう畑に着くと先月私が刈り残した周囲の草は刈られており助かった。弟が大変な思いをして刈ったのだろう。ブドウは鳥に食われたものもあるがおおむね順調であった。まだ糖度は充分上がっていない。

 10日の朝8時半に涌井の畑に行った。青首大根は奇麗に発芽していたが一畝は土に埋まって駄目になっていた。友人がトラクタ-を走らせて除草した時に土がかぶさったようだ。しかしまだ十分な本数があり問題無い。草取りと間引きを行い土寄せを行った。そこへ友人の丸山君がやってきた。「土を掛けちゃってすまん!順調に成長しているね。」「ネットを掛けたハクサイはすごいね!どうしてそんなに大きくなっているの?」「大きい苗を買ったよ!」今回ハクサイにネットをかぶせようと相談していたが丸山君のハクサイは見事に育っていた。「野沢菜や春菊が発芽していない!」「発芽したのだが虫に食われているようだ。オルトランを撒いた方が良い。」アドバイスに従って撒くことにした。

 丸山君と別れ自分のハクサイを見に行くとまあまあ順調に育っていた。種を蒔いて育てたのを移植したのだが元気に葉を広げていた。ネットを掛けた畝には黒っぽい幼虫がネットにかかって死んでいる。やはりネットの効果は有るようだ。隣の松野君の植えたハクサイはネットを掛けてないが奇麗に揃って成長している。大根もきれいに発芽している。やはり彼らはプロなのだ。ただ私はネットの効果を確認したのでネットを掛けなかったハクサイも掛けることにした。幼虫に入られるとハクサイはガサガサに食べられ駄目になってしまう。

 午後ネットを買って再度畑に行くと松野君がやってきた。「これから野沢菜を蒔くから手伝って!」とのこと野沢菜の種まきをした。彼の仕事は早い!牛糞の堆肥を足で踏みつけた目印に沿って畑に蒔きトラクタ-で漉き込む。造られた1.5m位の幅の畝を足で踏んで蒔き筋を2列付ける。そこへ野沢菜の種を二筋に蒔いていく。その上にクワで土を掛けさらに足で踏んでいく。広い畑の種まきも1時間くらいで終了した。彼らは私と違って仕事が早い!

 「ハクサイにネットを掛けていくよ!」「掛けなくともオルトランを蒔いたから大丈夫と思うが?」はたして結果はどうなるか楽しみだ。「大根の小さいのが沢山出ているから採って行って塩だけで炒めたら美味しいよ!」松野君の勧めで沢山採って山小屋へ引き揚げた。

飲み会

 9月8日は大学のスキ-部の仲間との飲み会だった。台風15号が接近しており予定を1時間早めて午後4時からとした。お蔭で台風の被害に遭わず7時過ぎに品川のお店を出た時は雨も無かった。

 70代にもなって大学時代のスキ-部の仲間と交流できるのはやはり気の置けない仲間だからだ。スキ-の合宿や大会さらには大学祭の模擬店やスキ-スク-ルの開催等同じ釜の飯を食ってきただけあって懐かしく固い絆で結ばれている感じがする。

 現役をリタイヤ-してそれぞれ好きなことをしている身分であるがこれからの人生をどう生きるかは人それぞれだ。「あまり長生きはしたくないな!社会の役に立たないのなら早く死んだ方がみんな助かる。」「そうさ団塊の世代が年金財政を破綻させる。国は早くこの世代が亡くなってくれることを願っている。」「日本じゃ安楽死は認められない。オ-ストラリヤはOKなのに。早く認められるようになってほしいよ。」「全身麻酔をされると意識は無くなる。その状態で死ねれば幸せだね!」「自分はゴルフをした後ベランダでウイスキ-を片手に紫煙をくぐらせ突然死を望むね!」そうは言っても100歳まで長生きしてしまったり重い病で寝たきりになってしまったり認知症になってしまったりどうなるかは誰も分からない。ただ生きている間は共に喜びたい。

 「小林さん!シャインマスカットを今年も頼むね!」こういわれるととても嬉しい。皆さんに喜んでもらえれば作り甲斐がある。今年も仲間には送らせてもらう予定だ。もうすぐ熟す頃だ。

叔母の引っ越し

 今月は叔母の引っ越しで忙しくなる。手始めにベッドを新調したが長野へ運ぶのにお金がかかる。それで我が家に預かり、引越し屋さんに頼んで一緒に運ぶ予定にしていた。しかし若しかすればシングルベッドなので乗用車に入るかと思ってトライしてみたが無理であった。息子が夏休みだと言うので来てもらって車に入れるのを手伝ってもらったがどうしても無理であった。ベッドの厚みがありすぎるのだ。ベッドさえ先に長野へ運んでおけば叔母に長野へ行ってもらってその後引っ越し屋さんに大物の引っ越しを頼む予定だ。

 今月中に叔母の家の食器や本、調理器具などダンボ-ルに梱包する予定だ。そして私が運べるものは私が運んでしまう。残りの大物は引越し屋さんに頼むしかない。この秋に引っ越しを完了してしまわないと叔母の移住は難しい。90歳にもなると急速に体力が衰え買い物もままならないと言う。時には身体が痛くて起き上がれないそうだ。電話があるたびに愚痴を聞かされる。年齢だから致し方が無いのだが早く田舎の弟家族と生活して欲しい。そうすれば誰かが近くにいるので安心だ。

 ベッドのフレ-ムは車に入ったので来週長野へ運ぶ予定だ。フレ-ムを組み」上げておけばマットを乗せるだけで済む。丁度種を蒔いてきた秋野菜の間引きに行かなければならない。大根や野沢菜、ホウレンソウ、春菊の間引きだ。これからも何回も長野の田舎へ帰るので荷物は沢山運べると思う。9月が勝負だ。頑張るぞ。

編集者

 今日9月4日になり暑さはやっと収まった感がある。やはり年寄りには暑さは堪える。随分身体が楽になった気がする。

 1日には教会の礼拝の後、記念誌の打ち合わせをした。問題になったのは私の書いた歴史スト-リ-だ。今までのどの記念誌にも無いキリスト教の素晴らしさを日本の歴史に沿って書き上げたものだ。従って個人の思い込みが随所に入っており、これを公式文書にするには無理がある。表現方法や歴史的事実などの検証などしても教会の公式文書として出すのは問題が生じた場合迷惑をかけてしまう。委員長の福田さんが出したアイデアは個人の文責とするために執筆者の名前を出しましょうとのことになった。個人の文章となればさして問題視はされないだろう。いろいろの見方や考え方があるのだから。私もその方が良いと思った。

 そうなると編集の仕方も変えた方が良いと思われる。編集方針は変えないが記事の掲載順を変更し、現教会員のメッセ-ジを中心に据えることになる。歴史年表と私の解説文は最後の方に持ってきた方が良いと思われる。次回の編集会議に提案してみたい。

 編集とは出版物を読者に見やすく分かりやすく執筆者の意図を伝えるようにすることだ。出版物の目的に沿ってそのような作業を行うことと言える。これもなかなか難しく見やすくするために誤字や脱字や変換誤りなどが無いか気を遣うことになる。また文章の段落も大切だ。文章の配置やイラストや写真のレイアウトも大事になる。文章の文字も見出し用やイラスト調などで興味をひくようにしたい。いろいろ技術も必要になるし的確な言葉の使い方も大切だ。そんなことを考えると自分は編集者には向いていないと思う。様子を見よう。

トラクタ-

 8月27日は朝8時に涌井の畑へ行った。前日トラクタ-がブタクサという太い雑草を巻き込みエンジンが停止してしまった。雑草をロ-タリ-刃から外ずしエンジンを再始動させようとしたがどうしてもかからない。仕方なく畑にトラクタ-を放置し山小屋へ引き揚げた。夜、丸山君へ電話したら「負荷がかかりすぎるとエンジンが止まり冷えるまではかからないんだよ」とのことであった。それで8時に丸山君が畑まで来てくれた。

 エンジンを掛けるワイヤ-を引くと1回でエンジンがかかった。「ありがとう!おしゃっる通りだったね!今日は野沢菜と春菊、ホウレンソウの種を蒔く予定です。」「頑張って!」「ところでロ-タ-の刃を回転させないようにするにはどうするの?」「シフトレバ-を1に入れれば良いんだよ。」刃が回転していなければ太い雑草を巻き込むことは無かったのだ。丸山君が帰った後、畑を耕しどうにかすべての種まきを終えた。それから昨日植えた白菜の苗へ水やりに行き、虫よけのネットを掛けて畑仕事を終えた。

 午後から弟の家へ行き草刈り機を持って須坂の畑へ向かった。ここの雑草は大きくなりすぎ草刈りが大変であった。原因は「くず」の弦が絡まり簡単に切れないのだ。夕方4時までかかってどうにか平地の草刈は終えた。土手の草刈は出来なかったが体力の限界であった。

 これで今回の農作業はすべて完了した。達成感とともに収穫を夢見て熟睡した。28日の朝から山小屋の掃除をして東京へ帰った。

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