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コロナウイルスの死滅を願う

 新型コロナウイルスは思っていた以上に深刻だ。パンデミックになりオリンピックが1年先送りになった。この状態ではオリンピックどころではない。やむをえない状況だ。日本に大流行しないことを祈る。

 コロナウイルスの治療薬やワクチンはまだ開発されてない。そうなると感染予防対策しか有効な手立てはない。感染予防には感染者と接触しないことが第一だ。その為には行動自粛も止むを得ない。我慢するしか方法が無い。

 思いもかけないコロナウイルスの流行で各種の行事が中止や先送りになった。私も元の会社の皆さんとの食事会が中止になり今日また田舎の同級会も中止の連絡が来た。確かにこの状態では盛り上がらないだろう。

 昨日田舎の同級生から電話があり「山菜採りは4月20日頃やりたい。今年は早くてもうコゴミが出ている。山ウドも出始めているので絶対やるよ!30kg位背負えるように身体を鍛えておいてくれ!」「そんなには無理だよ!誰かポ-タ-を頼まなくては駄目だな!」「情けないことを言わずに来てくれ!必ず実施するから!山はコロナウイルスとは無縁だよ!」

 暖かくなると同時にコロナウイルスが死滅してくれるとありがたい。ニュ-スを聞いているとそれは無理らしい。仕方がないからしばらくはじ-と我慢だ。

巣箱

 昨日は孫娘と巣箱を作った。テレビでシジュウカラの番組を見て作ることを思い立ったようだ。私に「ジジ-、巣箱作って!」と電話の向こうで叫んでいる。

 DIYより板を買ってきた。適当なものが無く厚さ20mm幅180mm長さ1.8mと重い板になった。一応設計図を書いて板取を行った。孫は板を抑えたりノコギリで挽いたり結構役立つ。巣箱の側板はテ-パ-が付く。ノコギリで切る時刃が食い込み上手く挽けない。「ジジ、反対側からやったらどう?」なかなか知恵がある。見事にカットすることが出来た。

 巣箱の入り口を丸く大きな穴を開けるのも苦労した。糸鋸でやったが奇麗にはならない。やすりで仕上げてそこそこ見栄えを整えた。あとは組み立てと屋根を蝶番で開閉できるようにして終わりだ。金槌を一生懸命打っていた。

 出来上がったのを見るとまあ-まあ-だ。ちょっと大きすぎたかなと思われたが後は小鳥さんが気に入ってくれるかだ。今年駄目だったら来年は田舎に持って行って掛けようと思う。

 孫を遊ばせるには丁度良い。孫はついでに木片で下駄を造ってしまった。板にひもをテ-プで止めて履けるようにしている。すぐ外れてしまったので板に穴を開け鼻緒を通すようにしてあげた。下駄の感覚を味わって喜んでいた。半日かかってしまった。

記憶力

 新型コロナウイルスの広がり防止のため学校や幼稚園など休校になっている。その為こどもさんを預かるお爺ちゃんお婆ちゃんも増えている。孫達を預かり面倒を看るのだ。子供の方が体力があり大抵は老人が草臥れる。

 昨日は世田谷の孫娘を迎えに行き昼食はラーメンを作った。「ジジのラ-メンは美味しい!」何故か評判が良い。午後は妻が公園に連れだし散歩を兼ねた運動をさせた。夕方戻ってきて今度は私に「イ-スタ-エッグ探し」をやろうと言う。子供は次から次と遊びを考える。イ-スタ-エッグを探すのも一苦労で大変疲れる話であるが、私が隠したイ-スタ-エッグが見つからないハップニングが起きた。4個隠した内の1個がどうしても見つからない。隠した場所が思い出せないのだ。完全に記憶が飛んでいる。

 そういえば叔母がしまった鍵やハンコが見つからないと大騒ぎをしていた。一つの動作だけなら覚えているのだろうが幾つも重なるとどこにしまったかが分からなくなってしまう。私も3個の隠し場所は覚えていたのだが4個目が全く記憶が無い。孫娘が帰り際テ-ブルの上のおもちゃの座布団をひっくり返すとイ-スタ-エッグが出てきた。「ここにあった!」面目ない!

 記憶力が衰え体力も衰え徐々に認知症になって行くのだろう。情けないが兆候が出ている。記憶力の回復に努めたい!70代が勝負かも知れない。

雪景色

 3月5日 叔母を長野へ送って行った。車で約4時間だが叔母は元気だ。90歳にして長距離を車で移動するのは大変なはずだ。「新幹線で帰るよりも楽なの!JRの駅を上り下りする方が大変だ。」

 長野に着くと私は早速山の畑を見に行った。今年は記録的な雪不足だが畑は10cmほどの雪に覆われていた。その雪の上に昨年植えたニンニクの葉が揃って顔を出していた。雪の下に入っていれば大丈夫なのだが心配である。たぶん問題は無いだろう。帰ろうとすると友人の松野君が車で通りかかった。夕方電話がかかってきた。「若しかすれば戻って来たかと思ったよ。フキん子を採って来たから明日持って行ってくれ!家の玄関に置いておく。」いつもながら親切な同級生だ。

 その日の夕飯はステ-キにした。弟の家族は肉が大好きだと言う。ニンニクを揚げ、もやしを塩、こしょうで炒めピ-マンの千切りしたものも同様炒めてステ-キに沿えた。簡単な料理だが皆さん美味しいと食べてくれた。

 畑は雪があり農作業は無理だし、山菜採りもできないので翌日帰ることにした。教会の100周年記念誌の打ち合わせがあるためだ。ところがコロナウイルスの為教会は3月の礼拝が無くなった。5月23日に記念式典があるのだが実施できるかも心配だ。

 昨夜からの雪で田舎は薄化粧だ。久しぶりに奇麗な景色を見ることが出来た。スマホに収めて帰京した。

印鑑登録証

 2月24日から叔母が来ている。引っ越しの最中に印鑑登録証が不明となり再発行を依頼したが出張所から送られる必要書類が届かないためだ。自宅のポストに入りますのでそこへ署名して提出してくださいと言われている。毎日のように叔母のポストを覗いたが入っていない。それで出張所に行き「届かないのですが」というと現物は出張所に戻っていた。「宛名どころに見当たりません」と封筒に2回も判が押されている。

 その現物を渡してくださいと言うとそれは出来ませんと断られた。「郵便で送るしかできません」という。良く見ると封筒には「転送不要」と印刷されている。それで千鳥郵便局へ行って確認すると「転送依頼届けが出されている場合そういう書類は発送主に戻します」とのことで転送依頼を取り消す必要があるとのことだ。厄介な話だ。封筒に朱肉で押された配達したように見えた判は配達に行かずに千鳥郵便局で勝手に不在判を押して返したのが真相だった。

 それぞれ皆さんは規定に従った仕事をしているのだろうが叔母に東京に出て来てもらうことになった。弟達が車で送って来たので助かったが高齢の叔母にはキツカッタようだ。本人が出てこなければ駄目と言われると大変な事にもなる。役所仕事も改善して欲しいものだ。

 叔母は「疲れた!疲れた!」と言いながら毎日自分の家に行き荷物を整理している。まだ田舎へ持っていきたいものがあるのだそうだ。私が車で長野へ行くとき運ぶことになっている。まだまだ引っ越しは終わらないのだ。

自然の力

 誹謗中傷するメールを見て気に成って考えた。どうしてそんなメ-ルを書いてしまうのだろう?どう考えても普通の人のやる行為ではない。やはりこれは病気のなせる業だと。

 病気だから許されると言うものでもない。放置すれば被害者が増える危険性がある。さりとて注意すれば効果があるものでもない。逆効果になってしまうことも想像される。病気は難しい。

 悪魔は人間の弱った心に入り込む。自分が他人に押しつぶされるような恐怖心が襲うのだろうか?そのために他人を攻撃しなければ恐怖心が収まらないと言うことか?なんとも厄介な問題だ。原因を考えても心の問題は難しい。悪魔が入り込むのはしばしばお金が原因となる。生存権が脅かされると思った時に犯罪に走ってしまう。悪魔よ退散せよ!と叫んでみても人の心を支配し続けるケースが多い。

 今回の場合はお金ではない。プライドの問題でもない。本人が勝手に悪い方に思い込む被害妄想的な病だ。本人の性質や性格から生じてしまうものなのかも知れない。そして攻撃的になる精神的病だろう。こういう人は多いのかもしれない。

 言論の自由は大切だ。かといってなんでも自由に書いて良い物ではない。自由であると言うことは社会的義務を伴うことは自明の理だ。それこそ公序良俗に反することは自制せねばならない。しかしこれらのことは充分分かっているのだが病ならば仕方がないのだろうか?

 今回の場合は本人は教会から距離を置いた方が良い。被害妄想的に感じてしまうのなら原因となる教会から離れた方が良い。教会に来るのは自由だ。来ないのも自由だ。たぶんストレスを感じる教会から離れてみるのも効果があるかも知れない。そして旅行するなり芸術を鑑賞するなりして心を解放することだ。

 経済的に余裕があれば自然の中に身を置いてみるのも良い。半年ほど自然の美しい所に滞在してみる。自然の優しさや美しさに接すると心が洗われるに違いない。時には自然の厳しさに遭遇するだろう。また自然の豊かさに感動するだろう。そうすれば社会の小さな葛藤などは気に成らなくなるかもしれない。心を癒し心を強くしてくれるのは自然かもしれない。人の優しさももちろん大切だが言葉だけでは効果が少ない。薬で治らないとすれば自然の力に頼ることも必要だ。

 私は農業にハマっている。野菜つくりが楽しいのだ。種が芽を出しすくすく成長して立派な野菜になった時は感動する。自然の力に感嘆する。簡単には良い野菜は出来ない。草取りや畑の土作りなどたゆまぬ努力が必要だ。自然との対話も必要だ。そんなことが出来る自分はラッキ-だ。弱い人達に優しくできる心の豊かな社会であって欲しい。

SNS

 昨日は教会の食事当番だった。私は3.5kgの米を研ぎ、白菜ベ-スのワンタンス-プを作った。メインは豚丼だ。ご飯の上にレタスのカットを敷き焼いて味付けした豚肉を乗せる。「男性陣の食事つくりはメニュ-がいつも変わり美味しい」と評判だ。

 私は歯の腫れも引き無事役目を果たせた。帰り際に教会誌の編集委員のライングル-プに入れられた。「小林さん!スマホあります?」「スマホを買ったばかりでまだ上手く使えないんですよ」「私達のラインに入ってください!」と言ってスマホを操作してライングル-プに入れられた。

 今朝スマホを見ると早速ラインが来ていた。そこには目を疑う様な他人を誹謗中傷する文章が並んでいた。最初は理解できなかったが、昨日の教会でのちょっとしたトラブルをメールで酷い言葉で綴っている。まさにスマホによるパワハラやいじめの実態を見ることになった。最初のライングル-プのメ-ルにビックリである。

 SNSは使い方を誤ると凶器になる。子供にスマホを与えるときは使い方を十分指導しないといけない。また大人になれない子供のような人間には与えない方が良い。病気の人には教えることも難しい。

健康

 このところ疲労が溜まり歯茎が腫れて寝込んでしまった。原因は虫歯の治療が出来ていないためだ。歯医者さんからは入れ歯の調子を見せに来なさいと昨秋連絡いただいたが行かなかった。その「ツケ」が回ってきた感じだ。

 今は教会の記念誌作りに多忙だ。安価に仕上げるために自分たちですべてのペ-ジを仕上げることになる。自分は教会史を書いたがこれもこれから推敲してブラッシアップをせねばならない。年表も未完で3年分を補充しねばならない。さらに教会員メッセ-ジにもカットや写真を挿入して仕上げていかなければならない。本格的な編集作業になっている。全部で100ペ-ジほどになる予定だ。

 編集作業も結構面白いものだ。カットや挿絵を造ったり写真を加工したり皆さんに興味を持って読んでもらえるペ-ジ作りをするのは面白い。ここでは美的センスが必要だが私には備わっていないようだ。女性や若い人達に最終的には仕上げてもらう。暇な年配者が編集委員とならざるを得ない。ここでもパソコンの知識が必要になる。

 明日23日は教会の食事当番だ。私はお米とス-プを担当する。明日はワンタンス-プをすることになっている。もう一人の男性が豚丼をしてくれる。男性の食事当番はいろいろメニュ-が変わり美味しいと評判だ。

 25日には叔母が東京に出てくる。印鑑登録証の再発行の為だがしばらくは我が家に逗留することになる。何かと忙しいがやはり大切なのは健康だ。健康を害したら何もできない。よくよく自覚せねばならない。

人の命

 節分が過ぎ今日は立春だそうだ。東京はこのところ春の陽気で立春という感慨も少ない。暖冬がかくも気候を変えるとは思いもよらなかった。今年の夏はどうなるのだろうと心配になる。

 心配なことは新型コロナウイルスが中国武漢で発生し死亡者は400人を超えたと言う。世界に拡散しておりSARSを超えたと言う。今の所、対症療法しかなく感染を防ぎ病状の安定に努めるしかないようだ。ウイルスによって命を無くすのは御免だ。亡くなった人は無念であろう。

 人の命は最も大切だとされる。日本ではかって人の命は国家の為に捧げよと言われた。国家の為には個人が犠牲になるのが当たり前と見られていた。今は大切な命を国が守ることが国家の使命である。それが民主主義の原点である。個人も大切、国も大切どちらが優先するかちょっと難しい感もするがどちらも大切だ。

 中国や北朝鮮といった社会主義国は国家が優先する。個人の人権や自由が損なわれることが度々起こる。これが民主主義国との大きな差だ。自由主義陣営が社会主義、共産主義陣営に勝利したのは一部の権力者が統治するのではなく、多くの人の自由意思や競争意欲で社会や経済を発展させてきたことだ。人間の本質にかなっていたと言うことだ。独裁者や一部の権力者が誤れば国家が消滅する危機になることを歴史は語っている。

 人の命には限りがあり、いずれは死を迎える。この世に存在するのは奇跡的な事だし、一度切りの人生なのだ。死んだ人が再び生き返り二度目の人生を歩むことは無い。身近な人の死に直面して、もうこの人と会うことも話をすることも悲しんだり喜んだりすることもできないと認識する。それだけ人の命は貴重なのだ。死んだ後は人々の思い出の中にしか生きれない。

 昨年、久しぶりに会ったシアトル時代の友人は「一生の間に自分がお付き合いできる人は300人くらいしかいない。人との出会いはこれも奇跡なんです!出会った友人と歩むことが出来る人生を大切にしたい。」と語っていたことが思い出される。楽しく面白い人生を歩みたいと思うが困難甘苦である。人生100年時代だ。お金よりも大切なのは人の命であり健康である。納得の行く人生目指して頑張ろう!

食道ガン

 食道癌にかかった友人が生還した。退院後の養生について聞きたいとのことこの近所のファミレスまで車でやってきた。「やあ-お元気そうで何よりです。」「まだ完全じゃないんだがやっと食べれるようになったよ。」食道の全摘手術を行っている。

 彼は同級生の中でも人一倍体力があった。若い頃はヒマラヤ登山を行っている。明大の探検部だった。山を愛し日本のほとんどの山を登っているそうだが特に好きなのは冬山登山だったと言う。過酷な自然環境の中で挑戦することが面白いのだそうだ。そんな彼が食道ガンになったと聞いて驚いた。癌は頑健な人にも発生するのだ。

 食道ガンは恐ろしい。私の父は34年前に食道ガンにかかり4か月で亡くなっている。当時は癌は死の宣告だった。自分達の力ではどうにもできない無力さに打ちのめされた。姉の勧めで放射線治療を試みたが声が出なくなり体力も落ち悲惨な病院生活を送った。その時のことを思い出すとガンを何とか退治して欲しいと願わずにはいられない。

 「食道ガンは気付いた時はすでに3cm位になっていた。昔から喉に違和感があり前兆と言えば前兆だった。最初はガンを手術で摘出すれば大丈夫と言われていたが、抗癌剤を打っているうちにさらに大きくなってしまった。抗癌剤が合わなかったようだ。娘の勧めで有明癌研に入ることになったがステ-ジ3~4と言われ余命宣告までされた。」大変な病状であったが不思議と動揺はしなかったと言う。私の場合は毎朝「62歳で人生の幕を閉じるのだ」と病院の窓から朝焼けを見ながら思ったものだ。

 「いろいろ選択肢があったが食道の全摘手術を選んだ。食道を摘出し胃の上側2/3を縦に半分ほどにカットし縫合して食道を造る。それを喉と縫い合わせる方法だったが10時間かかった。腹腔鏡手術だった。」すごいことをやるもんだ。昔ではとてもそんなことは考えられなかったが胃を食堂代わりに利用する方法で成功している。1か月ほど胃ろうだったがやっと喉から飲めるようになったそうだ。ただ食道代わりの胃がくっついてしまうのでバル-ンで広げたこともあるそうだ。本当に助かってよかった。医療の進歩に感謝である。ガンは死の病では無くなりつつある。

 「今年は田舎で農業をやろうと思っている。自分の場合は結構リハビリになっているんだ。」「自分もやりたい。今年の同級会には是非参加したいしその後山菜採りや畑仕事を行いたい。」「いいね!山小屋に泊まって一緒にやりましょう。」再会を約して別れた。

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