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油圧ジャッキ

 慌ただしかった日々も終わりやっと平穏な日常が戻って来た。叔母の引っ越しにともなう残務作業はまだあるが一段落である。ただ来週には叔母の要請で帽子や時計、フライパンやおでん鍋等小物類を長野へ持っていくことになる。そば粉がまだ出来ていなかったのでその引き取りも兼ねて車で行く。

 心配なのは雪であるが今日、明日辺りは長野は雪になりそうだ。今度行くときはスノ-タイヤに履き替えて行かねばならないだろう。今までは車載のジャッキでタイヤ交換していたが上げるのに力が要る。それで油圧のガレ-ジジャッキを買うことにした。これからも長野へ行くことが多くなる。自分でタイヤ交換したほうが経済的である。

 「油圧のジャッキはオイルが抜けて使えなくなったことがある。」以前荻野さんから聞いたことがある。果たしてどんなものか?試してみたい。何と言っても価格が手ごろなのが良い。説明書を読むとオイルが減少した場合補充すれば正常に働くと書いてある。

 紀之君から電話が来た。「松野君に電話したがまだソバ粉が出来ていない。今度何時長野へ行く?」「うん、来週には行こうと思っている。そば粉の引き取りもあるし。」「その時俺の分も引き取ってきて!あんたの所へ引き取りに行くから!」彼は私の家に来たことがあるから車で来れるのだ。「了解!引き取って来るから家まで取に来て。」

 今年の冬は暖冬らしい。ただし北海道や東北の日本海側ではこの時期に大雪になっている。温暖化による気候変動には困ったものだ。やはり地球規模での対策が必要だ。

野沢菜

 今年は比較的秋野菜の出来が良かったのであるが唯一野沢菜作りに失敗した。原因は種まきを8月24日頃行った為発芽した若芽を虫が食べてしまったのだ。日照りの為畑には水分が無く発芽した野沢菜を小さなバッタ達がすべて食べてしまった。畑は無農薬、有機栽培なので虫やミミズが沢山いる。

 地元の人達は野沢菜と大根の種まきは9月5日頃と決めている。私の種まきは早すぎた。来年は8月末頃にしてみる。松野君は今年は9月8日頃に野沢菜の種を蒔いた。順調に成長したがやや小ぶりな株だ。野沢菜自体は柔らかく美味しいが大きさがもっとあった方が良いと思われる。

 野沢菜漬けはいろいろな方法があるようだ。今年はトライで塩とコンブで漬けてみた。従妹から教わったのは野沢菜を6束ほど漬けるそうだが1束は10株ほどあるそうだ。結構大量の野沢菜だ。それを良く洗って株の土を落とし1日くらい干すと言う。柔らかくした方が漬けやすいのだそうだ。1束に対しお茶碗一つくらいの塩を使うそうだ。野沢菜漬けの素を使う人もいるがコンブや唐辛子、渋柿の干した皮を入れたりいろいろだそうだ。

 私は東京に戻り野沢菜を良く洗い、4cm位にカットして昆布だしで漬けてみた。重めの重しを掛けて一晩で水が上がった。これが意外と美味しい。めんつゆの甘みと野沢菜の独特な味が良く合うのだ。ご飯の友としては最高だ。しかも東京で漬けることが出来る。漬けた野沢菜は冷蔵庫で保存だ。

 野沢菜の魅力を再認識した。来年は立派な野沢菜を育ててみせる。

銀世界での野沢菜採り

 11月27日より又長野へ行った。山小屋の冬支度と叔母の忘れ物を持っていくのとソバ粉を引き取るためだ。軽い椅子や小さなテ-ブル等小物を運んだ。夕方到着して弟の家に泊まった。

 夕飯は姪が作ってくれた。7時に皆で夕飯を摂った。7人と言う大人数での食卓は久しぶりだ。「斑尾は昨日雪が降ったようだ。山小屋へは今日は行かない方が良い。」弟が言う。

 翌日28日の朝は朝食後前回付けたたくあんの水が上がっているのを確認した。次は野沢菜漬けだ。弟の車はスノ-タイヤを履いており4輪駆動なので雪道も問題なく走る。畑では野沢菜や大根は雪がかぶり冷たく凍っている。明日は弟の車で山小屋へ行く予定だ。午後は飯山のベイシアへ大きな漬物容器を買いに行った。今回は野沢菜漬けをして帰る予定だ。

 29日は山は雪だった。弟と山小屋の冬支度をした。叔母の山小屋の雪囲いをして山小屋のトイレに不凍液を入れた。帰りに畑に行き野沢菜と大根を採った。午後田麦の従兄弟たちが来た。野沢菜漬けと黒ニンニクの作り方を教わった。田舎でも雪が降ってきた。

 30日は前夜からの雪が積もり山へ行くことをはばかられたが弟が叔母の洗濯機を山小屋へ持っていくと言って雪が積もった山小屋へ向かった。一面銀世界だ。叔母の電気毛布を出し自分はマイカップと鍋を持って帰った。午後松野君に電話すると「畑の野沢菜全部採ってくれ!大根も持って行ってくれ!雪には注意してね。」とのこと松野君の畑へ行き漬物用の野沢菜を採った。ここも一面銀世界だ。太陽の光を浴びてキラキラ輝いている。プラ箱2つに野沢菜一杯にし引き返して野沢菜を洗った。一輪車の中へ水道のホ-スを入れ水を貯めて良く洗った。「良い野沢菜だね!一輪車の中で洗うのは良い考えだね。」通りがかりのおばあさんが声を掛けてくる。「桶に焼酎を入れると良いよ!酸っぱくならない!」それぞれ野沢菜の漬物のやり方を教えてくれる。

 12月1日は冷え込んで昨日洗った野沢菜はバリバリに凍っている。これでは漬けられないので陽の当たる場所へ持っていき解凍した。お蔭で東京へ帰るのが遅れてしまった。そば粉はまだ出来上がっておらず次回取に来ることにした。野沢菜を大きな容器に漬けたので満足だった。これで冬支度は終わった。

シアトル時代の友人

 11月26日は久しぶりにシアトル時代の友人に会った。シャインマスカットを送ったのを契機に連絡取り合うことになった。「小林さんは11月後半の方が良いと伺ってましたので11月26日はいかがですか?お近くの目黒の料理店に予約を入れました。」田舎へ行っている時に丁寧な電話をいただいた。

 昭和47年に初めてアメリカに駐在した時、お二人はシアトル大学へ留学されていた。外車のシボレ-、カマロを乗り回し良く食事会やドライブ、スキ-、デイスコとかあらゆる遊びに連れて行ってくれた。まさにアメリカ時代の恩人なのだ。

 数十年振りに合うお二人は昔と変わらぬ好青年だ。やはり育ちの良さが全身からあふれ出てくる。今はそれぞれ会社の社長をしている。「小林さんお元気でした?シアトル時代を思い出しますと楽しかったですね!小林さんは3年くらいおられました?」「いいえ!私は半年で日本へ帰りました。」「そんな短さでした?小林さんとはずいぶん長くお付き合いした記憶があります。」短かったシアトル時代であるが今でも大切な思い出として残っている。

 夕方5時半から7時半まで美味しい食事をしながら思い出話は尽きない。懐かしいシアトル時代の再現であった。目黒自然公園の前に在る創作料理とお好み焼きのお店だ。シアトルの街のような雰囲気だ。20代の若かりし頃が夢のように蘇ってくる。「来年4月頃に柳田さんや杉田さんを入れて又やりましょう!柳田さんも会いたがっていました。」古藤田さんの提案で来年はシアトル時代の友達と大勢で会うことになった。楽しみだ。素晴らしい一日であった。

畑の片付け

 11月22日は朝食後山小屋へ向かった。雪はまだだと思って上がったが山小屋の周りは3~5cmほど雪が積もっている。ノ-マルタイヤの車は滑るので一挙に登った。まだ冬支度もしてなく雪の遅いことを願う。叔母の電気スト-ブを取り出し自分の布団と毛布それに作業ズボンを積み込み急いで引き返した。

 弟の家に戻ると引っ越し便が来ていた。家財道具を叔母の部屋へ運び込んでいる。東京にいるときは各部屋は狭くて小さいが今度のログハウスは広々しており叔母の部屋にすべてが収まった。田舎の良さは広さだ。広すぎて冬は寒そうだ。

 11時ころには目途がついたのでベイシヤにおでんの材料を買いに行き、帰りに畑へ行った。残っているサトイモを掘り大根40本ほど収穫した。野沢菜と春菊、チンゲン菜も収穫した。ニンニクを植えた所には鶏糞の追肥を施した。これが今年最後の畑仕事だ。

 弟の家に戻り干していた大根20本をたくあん漬けにした。弟が糠を取ってきており塩とブレンドして塩糠を作った。大きなプラスチックの容器に塩糠を敷き大根を2段にして漬けた。重しが足りないので弟に重しの石を採って来るよう頼んだ。

 その後ダイコン、サトイモを主体におでんを作った。叔母を含めて7人での夕食はにぎやかだった。この家族と叔母はこれから暮らすことになる。良い老後を送って欲しい。

 私は23日に一旦東京へ帰った。教会の食事当番があるのと新鮮な野菜を教会の人にあげるためだ。また来週すぐ田舎へ行くことになる。叔母の忘れ物を持っていくのと山小屋の冬支度をするためだ。天気予報では来週はまだ雪にはならないようだ。感謝である。

叔母の引っ越し

 11月20日叔母の引っ越し便が来た。午後1時より積み込み開始で午後3時半までかかった。ア-ト引っ越しセンタ-に頼んだが大物を中心に手際よく梱包して運び出してくれた。叔母はその様子を見ていて感心していた。「私の作業手順と同じだ。若いって素晴らしい!よく訓練されている!」私が郵便局へ行っている間に冷蔵庫を購入することを決めていた。「中部電力は電気料金が高いのよ!省エネの冷蔵庫にした。シャ-プ製の410ℓで左右両開きだ。」リーダ-に勧めらえて買い換えることにしたようだ。古い冷蔵庫を引き取り新品を届けて呉れることになった。

 積み込みが完了する前に妻は家に帰り預かっていたベッドのマットの積み込みを立ち会った。4時に無事積み込んだ。これで大物は完了した。22日朝9時に長野へ到着予定だ。

 21日朝10時に叔母を迎えに行った。ところが叔母はこれからご飯を食べるのよと言いながら何か探したり周囲を懐かしそうに見まわしたりのんびり口を動かしている。スピ-ド感がまるでないのだ。42年も住んで居れば感慨もひとしおなのかと思い荷物の積み込みを始めたが積み終わってもまだ叔母は朝食を食べている。とうとう11時半になってしまった。長野へ行く気があるのかと思ってしまう。やっと車に乗り込んだのは12時に近かった。老人になれば仕方のないことか。

 首都高は順調だったが練馬インタ-近くで大渋滞に巻き込まれた。1時間半ものろのろ運転で叔母は足がつったと言って大騒ぎだ。狭い空間で身体を動かさなく座っているので足がつることになったのだろう。そんなことで田舎に着いたのは夕方5時ころだった。散々な一日であったが兎に角引っ越しは完了した。私の責任は一応果たしたことになる。後は叔母の疲れが出ないことを祈る。

認知症の始まり?

 11月15日 叔母の家でア-ト引っ越しセンタ-の人と打ち合わせた。とにかく大物を田舎へ運んでほしい。引っ越すものを示しながら家を案内すると「ダンボ-ルは40箱くらい必要ですね。そうすると25万円くらいになります。」何しろ42年間の荷物だ。「ちょっと高いね!もう少し安くなりませんか?」ネットでの概算見積もりでは20万円くらいと出ていた。「それじゃ-ダンボ-ル20箱としましょう。20万円で行けます。」引っ越し費用は決まった。

 16日は朝から荷造りをした。昼過ぎダンボ-ルが届いた。しかしそれとは別な問題が生じた。「銀行の預金通帳とハンコをどこに置いたか分からなくなったのよ!」昨日午後郵便局へ行って年金のことを聞いたらしい。書類を貰って帰ってきてから通帳を整理してしまったと思うがどこにも見当たらないと言う。私も一緒になって探したが見つからない。叔母の記憶が完全に途切れている。「この部屋以外他には無い。コタツに入りながら通帳を片付けたのだから!」そう言って2時間くらい探したが見つからなかった。

 叔母も「認知症になってしまった。認知症とはこういうことを言うのだ!」真剣にいうので本当になったのかと心配になる。こういう時「誰かに盗られた!」とか考えやすいがそう始まれば認知症に近い。自分も記憶が無くなることが多いので同様に心配になる。どうしても見つからないのであきらめ荷造りの作業を夕方までした。

 17日の朝「通帳が有ったのよ!」と叔母から電話が来た。「何処にあったの?」「金庫の横の書類の下に有った。何遍も探した場所なのにそこに有ったの。」私も探した場所だしどうして見つけられなかったのか不思議である。「どうしても寝れないで夜中の12時半にやっと見つけた。今日は寝不足なの。」まあ-良かった。再発行等面倒だし叔母の言っていることが合っていたのでホットした。記憶力の減退とともに認知症が近づいてくるのではと恐ろしくもなる。

 午後から妻とともに荷造りに行った。まだまだたくさんの荷物がある。引っ越した後に片付けるしかない。

降雪が遅れることを願う

 叔母の引っ越しが遅れている。原因は田舎の受け入れ態勢が出来ていないためだ。台風19号の被害で豊野のリンゴ園は全滅した。今シ-ズンの収穫はあきらめたがまだ浸水した泥やリンゴの後かたずけは手つかずだ。シャインマスカットは無事だったがお米の救済に追われ家の最後の完成が遅れた。

 今日電話すると「シャインマスカットの最後の取入をしている。家の道路からのアプロ-チは昨日コンクリ-トを打った。ミキサ-車で運んだが奥までは一輪車で運んだので大変だった。でも満足する物が出来た。」「錠前は昨日発送されているので今日到着すると思う。到着したら装着して確認してくれ。」取り付け道路を整備しておかないと叔母に叱られる。段差無きようバリヤ-フリ-にしておかなければ転倒する危険性がある。そして部屋のドア-の取っ手と鍵も付けておかなければ開閉が面倒だ。バックセット70mmのドア-ノブを捜しネットで注文し弟の家へ送った。

 後は叔母の引っ越しだ。妻がア-ト引っ越しセンタ-へ行き打ち合わせてくれた。叔母が長野へ行った後、引っ越しの荷物を送ることになる。

 今年は暖かく今の所降雪は遅れるようだ。どうか雪が遅いことを願う。雪道を運転するのは気が重い。スノ-タイヤに履き替えるのも面倒だ。なんとか11月中は雪が降らないでほしい。天に祈る。

こども達

 11月9日はこども食堂だった。私は沢山の大根と白菜を持って教会へ行った。子供食堂を手伝ってくださるボランテイアの方々に差し上げた。皆さん喜んでくれた。近隣の小学校は土曜日なのに授業がありいつもの小学生は来なかった。お母さんと小さなお子さんが中心だった。

 10日は孫達との食事会だった。品川のビュッフェ形式のレストランでカニやエビ、お寿司、スープ、デザ-トのケ-キなど充分楽しんだ。春に皆で集まって以来だ。初孫は小学校3年生で沢山の習い事をしているそうだ。フラダンスをしているユ-チュ-ブを見せてくれたがなかなか上手だ。「今度正月に来た時は空手を見せて欲しいな!」とたのんだ。

 浦和の孫は小学2年生だ。世田谷の孫と一緒に人の眼を気にすることなく自由に飛び回り、振る舞っている。自分たちの世界で楽しんでいる。二人とも活発で遊びには長けている。3人の孫達は仲良く遊び、伸び伸び育っている感じだ。

 こども達が子供らしく自由に伸び伸び育つことは大切だ。大人は子どもの個性を伸ばすことに寛容であってほしい。教会のキッドスク-ルの園長先生は「いやなことは嫌!」「良いことは良い!」とはっきり表現できる子供時代にそのことを表現させ、大人はそれを「受け止める」ことがとても大切だと言われる。そして「受け止める」とはその通りにさせるとは限らず、その気持ちを理解することですと言われる。大人も子供の成長を知り良い援助者になることが教会の目標ですと言われる。

 孫達はともすれば我儘に育っているのではと心配になるが子供はちゃんと成長していく力は備わっているものだ。与え過ぎや準備し過ぎで子供の育つ場を奪ってはいけない。自分で考え自分で工夫し自分で決断し自立していくのが目標だ。教育には幾つものやり方があるのだろうが子供を一人の人格者として尊重し共に育っていくことが大切だとあらためて思う。

大収穫

 11月4日はソバ収穫祭だ。もう14年になる。毎年軽井沢の友人の別荘に集まり新蕎麦を打ち懇親を深める。今年は15名の参加であったが残念なことに新蕎麦は間に合わなかった。ソバの刈り入れは10月25日に僅かな晴れの合間を利用して行われた。しかしながら蕎麦の実を干す時間が足りなかったのだ。松野君が秋田の温泉へ行っていて帰って来たのは10月29日だった。「来年はもう少し遅くしてくれ!蕎麦を粉にしている時間が無かった!」松野君の弁である。

 それでもそば粉を持って来てくれたので手打ち蕎麦を3鉢打った。ヤマゴボウのつなぎを入れて丁寧に打ってくれた。松野君は沢山のキノコを採ってきてくれた。それぞれが抱えきれないほどのキノコを貰った。丸山君は大根や白菜、ヤ-コンを車一杯積んできてくれた。私の畑の大根は採ってこなかったようだ。東京から車で来た人達は沢山のお土産を積んで翌日5日に帰って行った。

 私は5日の朝10時に軽井沢を出発し長野の田舎へ向かった。弟の家の玄関の鍵を取り付けるためだ。バックセット70mmは最近の錠前には少なく美和ロックより取り寄せた。日本のドア-の錠前のバックセットは50mmまたは60mmが多い。カナダのログハウスメ-カ-が間違って錠前を送ってきたために大慌てとなったのだ。カナダをあきらめ日本製にした。午後にはどうにか取り付けた。

 6日と7日は畑に行き大根や白菜を収穫した。我ながら立派な野菜が出来たもので感心してしまった。たくあん漬け用の大根20本は弟の家の軒下に干してきた。今度行ったらたくあんを漬ける予定だ。先般植えた2本の栗の木には冬支度をしてきた。3本の木の主柱を立てて上部で結わえた。無事冬を越してくれることを願う。白菜15玉と大根30本を車に積んで東京へ持ち帰った。鴻巣と浦和に少し置いてきた。残りは教会の子ども食堂へ来てくれているボランテイアの人々にあげた。皆さん大変喜んでいた。来年も立派な野菜を沢山作る予定だ。収穫に感謝。

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